日本結核・非結核性抗酸菌症学会 THE JAPANESE SOCIETY FOR TUBERCULOSIS AND NONTUBERCULOUS MYCOBACTERIOSIS

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「世界結核デーを迎えて」

世界結核デーを迎えて 2024年

日本結核・非結核性抗酸菌症学会理事/執行部委員、治療委員会委員長

  露口一成 (近畿中央呼吸器センター)

 3月24日は世界結核デー(World Tuberculosis Day)です。これは、1882年3月24日にドイツのロベルト・コッホが結核菌を発見したと世界に向けて報告したことにちなんでいます。この日から人類の結核菌との戦いが始まったのです。この時代は、実に人凵の7 人に1人は結核で死亡したとされており、現在の新型コロナウイルス感染症を遙かに上回る脅威でした。コッホ自身も、結核菌を培養した液体培地の濾液を殺菌、濃縮してツベルクリンを精製し治療薬として期待をかけましたが残念ながら効果はありませんでした(ッベルクリンはその後結核感染の診断薬として価値を見出されました)。

初めての抗結核薬であるストレプトマイシンの登場は、それから60年以上を経てのことでした。1943年にシャツツとワクスマンにより単離されたストレプトマイシンは、モルモットでの実験で抗結核菌作用があることが見出されました。これを受けて結核患者への投与が行われ、治療薬として有効であることが確認されたのです。以後は、医学の歴史上初めてのランダム化比較試験を経て多剤併用療法の有効性が示され、さらにはイソニアジド、リファンヒ。シン、ビラジナミドといった強力な薬剤の登場により、 1970年代に現在の標準短期化学療法レジメンが確立しました。これにより多くの結核は治癒する疾患となったのです。

しかしその結果、結核は解決した、もはや過去の疾患である、として結核を軽視する認識が広がりました。結核対策につぎ込まれていた人的・物的資源が他の分野に振り向けられるようになったのです。その結果、結核減少を続けていた米国でも、HIV感染の増加や多剤耐性結核の出現も加わって1980年代後半に罹患率が上昇に転じたのです。続いてわが国でも1997年には罹患率が43年ぶりに上昇に転じ、1999年に当時の厚生省が結核緊急事態を冝言しました。

その後米国でも日本でも、結核対策の見直し、強化を図った結果、再度罹患率を低下させることが可能となりました。結核は、努力をすれば減少させられるが力を抜けはまた増えてしまう疾患であることが明らかとなったのです。結核については多くの研究成果が挙げられています。核酸増幅法の進歩により結核の診断、薬剤感受性検査を迅速に行うことが可能となりました。潜在性結核感染症治療により、感染者からの活動性結核発症を防ぐこともできるようになりました。難治であった多剤耐・性結核さえも、 ペダキリン、デラマリネゾリドといった薬剤の登場により今では多くを治癒させることができます。

我々は結核を制圧するための多くの武器を手にしています。必要なことは、l)全力を挙げて結核患者を早期に診断し、2 )感受性を踏まえた適切な化学療法を充分な服薬支援のもとに遂行し、3 )接触者や罹患しやすいリスクグループに対して積極的な潜在性結核感染治療を行う、 ことです。決して容易なことではありませんが、行政の強い意志のもとに充分な人的・物的資源を投じることによりゴールは見えてきます。2024年の世界結核デーのテーマはまさに「Yes ! We can end TB ! (私たちは結核をなくすことができる)」です。多くの人々に結核対策を知ってもらい結核撲滅を目指すべく、努力を継続していきましよう。

99JSTB_市民公開講座_案内チラシ

 

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